下記の研究発表を行った。
羽藤広輔:白井晟一の自邸「虚白庵」の原型について, 第61回意匠学会大会, 滋賀県立大学, 2019年8月
要旨:本研究は、建築家・白井晟一(1905-1983)の自邸「虚白庵」(1970年竣工、2009年解体)の原型を考察するものである。「虚白庵」は、背の高いコンクリート塀で囲まれ、前面道路に対して閉鎖的な立面を形成する一方、敷地奧には白砂の中庭があり、鉄骨で組まれた屋根が形成する深い軒とともに和風の様相を呈していた。写真で紹介された内部空間の印象は暗く、照明によって浮かび上がる多くの美術品や家具類が、空間を特徴づけている。また、白井は1960年頃から習書に没頭し、同建築は完成以降、その主要な実践の場となった。「虚白庵」に関する1970年代当時の評論を見ると、近代主義を乗り越えようとする道筋の中で白井の仕事に一定の可能性を見出そうとする点で共通しており、白井の思想や習書の活動に基づきながら、閉鎖性の高い外部とそれによって形成される暗闇のような内部を対比的に論じる傾向が読み取れる一方、室内に陳列された美術品類の捉え方に各論者の特徴が見られた。その他、白井作品群における「虚白庵」の系統的位置付けを試みるものもあった。白井自身が美術品類の収集について述べた聞書「教材コレクション」が1976年に、「虚白庵」について説明したエッセー「無塵」(1978年に「無窓無塵」と改題)が1977年にそれぞれ発表されてからは、それらの言説に基づく評論も見られ、以降も「虚白庵」は白井作品における重要な作品として注目されてきた。また、筆者はこれまで白井の伝統論の発展経過に関する研究を進めてきた。エッセー「縄文的なるもの」等が発表された1956年が白井伝統論の「確立期」であったのに対し、「虚白庵」が完成した1970年前後は、白井が世界古典の内在化の自覚に至った「展開期」の最後期に該当しており、その思想的背景との関連が注目される。よって本研究では、白井の言説や新聞記事等の関連資料に基づきながら、主に、白井伝統論発展経過との関連、中庭式の構成、暗闇に浮かび上がる美術品等の観点から、これまで指摘されてこなかった「虚白庵」の原型について考察する。
http://www.japansocietyofdesign.com/meeting/mass61_info.html