修士課程講義「空間構造設計学」では、建築空間を構成する意匠的要素について、建築史上の事例を通じて理解を深め、主体的な提案として表現できる力を身につけることを目標としている。今年度の課題では、講義内容に基づきながら、「建築の原型」をテーマに、1枚のドローイング、または、1枚の模型写真で、各受講生の建築観を提示してもらった。以下に評価の高かった作品を示す。
フレーベルの基本積み木より、創造衝動が原型であるとヒントを得た。人間だから思う、食住だけでないより豊かな生き方をしようとする感性を大切にしていきたいと思う。こどもが積み木やブロックで自分の領域を形作っていくようにして建築の原型を考える。「自分の部屋」として空間の基本モデルをつくり、プログラムを挿入していく。
製作途中で気づいたのは、ある程度、領域ができると内と外を考慮するようになり、外への憧れのようなものから開く空間を作ろうとすること、また空間の基本モデルを作っていくときに動線や使い勝手を考えながら作っているということだ。純粋な空間だけでなく、当たり前のことではあるが、他の要因が組み合わさることで人が作る建築ができているということがわかった。(M1 小山田優衣)
私にとっての建築の原型は木である。光や風、雨などの外的影響が木というフィルターを通った時に建築の原型となると考える。例えば、光が木のフィルターを通ることで光は制限され木漏れ日となり光と影を作り出すことで領域性を生み出す。風が垂れた枝を揺らすことで変化する領域性を生み出す。
ここでは『光』の変化に着目することで前述の建築の原型を表現しようと試みた。空間に光の操作をすることで領域性、空間性を生み出す。図のような空間に制限された光を挿入することで葉を照らし、空間が生まれる。さらに帯状の光が葉を照らすことで壁のような領域性が強調され、疎らな光が葉を照らすことで葉の一部を強調した散漫な空間を作り出す。
私にとっての建築の原型は外程影響に弱く、不完全であるが、それゆえに変化を肌で感じ、絶えず空間変化する。私の建築の原型は外と内の中間でかつ日本的な空間である。(M1 佐々木義道)
私にとっての建築の原型とは、自然の中にある‘樹’のように、人のためではない空間を、誰かがたまたま休憩してみたり、本を読んだりしたことがきっかけで人を主体とした価値づけが為されるようになり、その空間をその場所から切り離して人間の身の回りに置き換えて作られているのが建築であると考えます。また、有機的な存在に身を寄せ、安心感を抱くことは生物の習性であり根幹を成す要素であるとも考えています。
そこで私は、樹を見た人々が思い思いに空間を見出し、それぞれが好きなように過ごしている空間を表現しました。大黒柱のようなしっかりとした幹に寄りかかって休む人もいれば、上からの景色を見たい衝動に駆られて登り始める人もいます。大地に張られた樹の根っこは、子供にとってはくぐりたくなる遊び場であり、それを見守る大人は腰かけることもできます。
本来、建築物には設計者の意図がありますが、建築の原形に立ち返った時、そこには価値づけ等の縛りは無く、訪れる人の数だけ空間の価値づけがなされてもいいのではないかというのが私の考えです。(M1 杉山光暉)
モノはヒトによって使い方が変化する。
たとえば、自然にある「石」という名前の付いたモノがある。ヒトがそれを「イス」と言えば座るツールとなり、「ツクエ」と言えば物を置くツールとなる。ヒトがモノに名前を付けた時モノの用途が変更される。普段何気ないモノに新たな名前を付ける、それは建築の原型だと思う。
生活空間には家具と呼ばれるモノが存在するが、使い方が限定されている。限定することでのメリットはあるがそれ以上の使われ方はされない。また、設計者がいくらいい空間を提供しても使い手が空間を理解せず家具を建築に散らばらせてしまうため、対象のベクトルと対象となる空間を設ける必要がある。そこで、建築に散らばった家具を装置化し、建築に落とし込む。板状の素材を連続的につなげることにより、分かれている空間が間接的につながり、使い手によって用途が変化される。使い方を限定しないことで家具という概念がなくなり、モノとヒトがコトにつながり、空間がうまれる。(M1 千々松海図)
人間は無意識のうちに居心地の良い場所を見つけようとしている。今まで風景の一部でしかなかった場所に、自分にとっての家具や空間の使い方を見出していく。
内部空間の操作だけでなく、外部の要素を加えることで、居場所は時間や天候などの変化によって移り変わり、より多彩な過ごし方が生まれる。
今回は起伏のある空間に屋根の操作を加えることで、他者との距離感や内部に外部の要素を取り入れている。(M1 増田千恵)