影にて武甲を尊ぶ
「信仰」と「破壊」を兼ね備えた武甲山の博物館 (B4 山越伊織)
埼玉県秩父市の武甲山は古くから神が宿る御神体として信仰の対象とされてきた。日本三大曳山祭りの一つである秩父夜祭りも武甲山の信仰が根源だとされており、秩父市の文化と密接な関係を持っている。しかしながら、街に面した山塊北側を厚さ 50~450m の純度の高い石灰石が覆っていることから、明治期よりセメントの原料としての採掘が始まり、特に高度経済成長期からは山容が変貌するほどの大規模な採掘が進められた。採掘は現在も続けられており、1900年(明治 33 年)の測量では標高は 1336m を記録したが、山頂付近も採掘が進められた為に三角点が移転され、1977 年(昭和 52 年)には標高 1295m とされた。このように「信仰」の対象でありながら、「破壊」され続けているという矛盾した要素を併せ持つ武甲山であるが、特に現在の若い世代において、武甲山が信仰の対象であったことを知らない人が多いようである。そこで本計画では、秩父市民との生活文化・風土における関連の側面として絵画や歌を、鉱業的な側面として石灰石採掘の有用性や採掘方法などを展示し、市民が二つの矛盾した要素を認知した上で武甲山について再解釈し、改めて現状の武甲山対峙できるような博物館の提案を行う。設計においては絵画や採掘方法などの特性を建築的に取り込んだ空間の創出を行った。